向かい合わせのベクトル




 膝の上に本を置いたまま、ちらりとキャロルの様子を覗く。
 幼い顔立ちに、真剣な眼差しがアンバランスで。
 ボクは、やはり危うい、と思ってしまう。
 きっと、彼女は気づいていないのだ。まだこんなにも小さいのだから。



 ぱたん、と重たい音を立ててキャロルは本を閉じた。
 小さな両手に余る、分厚く、硬い表紙の本。好意で貸してもらった貴重な本だ。雑に扱えない。
 落とさないよう、しっかりと抱えて机の上に置いた。これで一先ず安心できる。
 本の安全を確保してから、キャロルは最初に脳に浮かんだ課題について片付ける。
「チャックさん」
「え、何?どうかした?」
 自分の声に多少険が混じっていることは認めよう。
 きっと眉だってつりあがっている。
 けれど小さな女の子相手に、こんなに腰が引けててよいものなのだろうか。
 ギルドを変えるんでしょう?
 不甲斐ない。大いに心配だ。
「あれ、もう読み終わったのかい?」
「いいえ。まだ半分くらいです」
 500ページは優に超える本を、流石に4時間くらいでは読みきれない。
「でももう半分も読んだんだ。すごいなあ」
「……チャックさんは全然すすんでないみたいですけど」
 じっと、半眼でチャックの持つ本を見つめる。
 ちっとも本に集中していないことに、気づいていた。だからこそ、中断してまで声を掛けたのだ。
 キャロルの記憶が確かなら、4時間かけて2ページしか進んでいない。
 図星を指されたらしく、チャックは乾いた笑い声を立て、誤魔化そうとした。
 誤魔化されませんよ、と目に力を込めてみる。大人しくなった。
「……ここじゃ集中できないって言うのなら、借りて帰ったらいいんじゃないですか?」
「え、それはダメ」
 いい提案だと思ったのに、即座に否定される。
 何がいけないのだろう。
 本を汚してしまいそう?
 まさかキャロルよりも転びやすい、なんてそんなはずはない。
「どうしてですか?」
「ボクが帰ったら誰がキャロルを送るのさ」
 教授は現在ファルガイア上でバスカーを拠点に活動中で、キャロルとチャックがいるのはロクソ・ソルス<天路歴程>号の中だ。
 確かに、遠い。けれど。
「大丈夫です。私一人でも帰れます」
 お父さんと違って迷子になったりしませんから。
 そう告げてみるが、ダメ、と強く否定される。
「女の子を一人で放り出すなんて出来ないよ」
「……なら、<天路歴程>号の方にお願いします」
 地上で活動できない船員が大多数を占めているが、あれ以来地上との交流が深まり、また、ミーディアムの力も借りて地上とロクソ・ソルスを行き来する船員も増えてきている。
 これなら問題はないだろう。
「……ッ!!ダメだッ!!」
 そう思ったが、チャックはさっきよりももっと強い調子で、むしろ悲鳴のような声を上げて断固として反対した。
 これにはキャロルも驚く。
「え、ふえッ!?どうしてですか?」
「危ないよ、危険すぎるッ!!そんなこと、絶対にしちゃいけないッ!!」
「そ、そんなに危ないんですか……?」
 <天路歴程>のひとが。
 と言外に含めておずおずと聞いてみる。
 チャックは大仰に頷いて、キャロルの肩に手を掛けて諭す。
「危ないよ!
 教授だって心配するさッ」
 あれ?
 内心首を傾げるキャロル。
 そうとは知らぬまま、チャックは続けた。
「だからボクが送ってくって!」
「あの、チャックさん……?」
「なんだい?」
「私が、危ないんですか?」
「そりゃそうだろ?だってキャロルは女の子なんだから。
 <天路歴程>のひとたちがどんな目で見てるか、わかってないだろ?」
 ことあるごとに近寄ってきてさ、なんてチャックは言うが、別におかしなことではない。
 彼らは勉強熱心で、まだあどけなさの残る小さな少女をちやほやしているだけなのだ。
 愛玩、といってもいい。小さくて、よく動いて(そしてよく転ぶ)いる様が小動物のようで愛らしいと、思っている。
 だから取れない本があれば手を貸してくれたり、甘いものを差し入れしてくれたり。
 色々と世話を、少し余計目に焼いてもらえているだけのこと。
 なのに、それをどう勘違いしたら、
「男は羊の皮をかぶった狼なんだよッ」
 なんて話になるのだろうか。
 キャロルは頭を抱えてしまう。
「ちゃんとボクがきっちり送ってあげるからねッ!」
 任せてくれ、と胸板を叩くチャックに。
「…………わかりました。お願いします」
 どこから手をつけたらいいのか解らなくなって、とりあえず問題を保留することにした。


 解決の糸口は、本人たちにはまだ見えない。
 世話好きな大人たちだけが知っている。





原案読んだとき「やった!公式だ!」と思ったネタ。(そんなバカな)


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